福服良好日

No doll, no Life ;)

お人形アソビ 幼少期 #2

戸建を両親が買ったことで、初めてのジェニーを買ってもらったおもちゃ屋さんのある街から引っ越した。今も住んでいるこの土地がオタクを人形から離さなかった環境としての影響が大きい。

 

・所謂おもちゃ屋さんがあった

 

1つ前のエントリにも書いたが買える環境の有無は大きいと思う。

「所謂おもちゃ屋さん」量販店の影響か個人のおもちゃ屋さんが消えていくのを目にした。オタクが記憶してる市に6つあったおもちゃ屋さんは社会人になる頃に全て無くなってしまったけれど。

触れる環境の有無…触るだけでなく視覚的に見ることも含めての有無はのめり込ませる増強剤としてオタクには有効だった。

 

そしてその中の2つのおもちゃ屋さんは、幾つになっても好きで居ていいことを教えてくれたのだ。

1つは中学入学頃できて高校卒業頃に潰れてしまったコレクターズショップ。

お金もほぼ無い学生のオタクに取り置きしてくれたり、掘り出し物を教えてくれたり、食玩やガチャガチャといったクローズドのものが多少上乗せすれば欲しいものが買えることを学んだのもこのお店だった。おかげで一番くじやランダムガチャはオークションで買うオタクとなってしまったけれど。

 

そしてもう1店、6店と書いたけれど内3店は市内に支店2店と本店を構えるおもちゃ屋さんだった。クリスマスプレゼントや誕生日プレゼントは多分皆ここで買っていたと思う。

ここの本店の店員さんはバービーのコレクターで支店の店員さんはジェニーのコレクターだった。コレクタブルラインがこれでもかと並んでいたし、普通の田舎のおもちゃ屋さんよりは品揃えが断然すごかった。(これに気付いたのは大人になってからで、他県の人もこのお店を知っててびっくりした)

支店はオタクの家と通っていた高校の中間地点にあったので、部活を終えたあと閉店するまでのタイムリミットの中よく通っていた。店員さんは非売品のノベルティをくれたり色々な情報を教えてくれた。少ないお小遣いとお年玉をほぼ費やしていた気がする。

オタクが高校生の頃、ジェニーはメモリアルイヤーで、過去に発売されたフレンドドールをレオタードのみだが比較的安価で発売していた。ショーケースの中にずらっと並んでいたのは圧巻で顔に個体差があると学んだのもこのお店だった。

 

残り2つのおもちゃ屋さんのうち1つは閉店セールの際に半額のカレンダーガールを買い、もう1店はプラのケースが変色したジェニーが不憫で迎えた記憶しかない。

 

実家ですらこれだけの環境が整っていた上に、長期休みになると行く神奈川の祖父母の家の最寄り駅降りて直ぐにもおもちゃ屋さんがあり、滞在期間中にはここか家電量販店のおもちゃ売り場で1つ、本屋さんで好きなものを1冊買ってもらえた。

 

オタクの家は、方針で誕生日プレゼントが無い家だった(ケーキは食べるけれど)

また、成績が良かったからといってご褒美は無かった家だった。習い事はしてたし本は割と好きなものを買ってもらえてた気がするので恵まれていたと思う。

 

なのでお人形のものを増やすチャンスは、祖父母の家に行った時、クリスマス、お年玉…そして月々のお小遣いのみだった。

 

そして祖父母はオタクにお砂糖菓子のように甘かったので、もうお人形遊びは…と内心思っていただろうけど欲しいものとして人形関連のものをあげれば買ってくれていた。父母も嗜めたり処分を促すこともしなかったことも途切れることなく人形スキーでいれた理由だと思う。