お人形アソビ 幼少期 #1
幼少期から着せ替え人形で遊ぶことが大好きなオタクだった。今思うと輪をかけて環境が良かったからだと思う。
・年齢を理由に親から取り上げられなかった
・所謂おもちゃ屋さんが身近にあった
・定期的に買ってくれる人がいた
・身内の裁縫スキルが凄かった
・好きなお人形の過渡期と被っていた
これが、30年以上(今は新規で買うことはしていない)人形のオタクでいれる理由である。
逆にデメリットもある
・自分を着飾ることに興味が無い
これは今別の趣味で人並み程度に保たなければという環境にいるので多少は改善したけれど、可愛い子が可愛いものを見につければいいしそれをみたいという根底は変わっていない。
とアラサーで色々拗らせてるオタクが人形スキーとして爆誕したのは、予防接種で注射に我慢したご褒美に買い与えられたのがきっかけだった。
小さなまちの個人のおもちゃ屋さんにはリカちゃん人形が2体とジェニーが1体。
母はリカちゃんを(周りに合わせて)与えたかったようだが、注射で泣かなかったのに変えようとする母に泣いて泣いて泣いて抗議したようで。根負けしたのかオタクは無事ジェニーの箱を抱えてご満悦だったよう。
買ってもらったのはカラーパレットシリーズのREDのジェニー(後期)
色をコンセプトに前期はピンク・緑・青・オレンジ・紫・黄色。後期は赤・ピンク・黒・紫・緑・青で展開されていた。
アラサーになった今、このラインナップから欲しいなら分かるけども、幼子がお人形遊びをするのにはかなりハードモードだ。
髪は裾カールのかかったポニーテール、ヒラヒラしていないタイトスカート、ワンピースなので脱がすか着せるかしかできない。
これは前期の箱、箱みているだけでも心はときめくので気持ちは分かるけど
そこで、「身内の裁縫スキルが凄かった」ことの恩恵がくる。母は縫い物だけでなく刺繍も編み物も得意で、型紙が無い中色々な物を作ってくれた。今と違いボタンやスナップは人間サイズのものを使うのでアンバランスではあるけれど母の作った洋服はお気に入りだった。ニットの半袖カーディガン、ワンピース、ショートパンツ、ピンクの花柄のセットアップ、ミニスカート。その中でも着なくなったトレーナーの袖を切ってレースで装飾したノースリーブのドレスはひらめきの極みだと思う。
いつの間にかポニーテールのゴムが無くなったり、裾カールが髪を切りたい幼児期の餌食となり、度重ねる着せ替えのうち片方の袖に若干のダメージを受けつつもこのREDのジェニーを愛でていた。